※本記事はネタバレを含みますのでご注意ください。
はじめに
結構前にはなりますが、「エンダーマグノリア」をクリアしました。結論から言うと、「めちゃめちゃ面白かった」です。
本記事ではゲームデザインの細かい部分には触れませんが、前作から多くの遊びが追加されて探索面がより楽しくなったこと、そしてストレスフリーなUXも健在どころかパワーアップしていて、全体的にかなり進化していたという印象です。
ストーリー面でも、「エンダーリリーズ」のその後を描く作品ということで、古き民、白巫女、そして外の魔術師が侵略した世界のその後への理解がより補強される内容になっており、とても満足度が高いです。
一方で、物語を通して謎が謎のままで終わった部分も多く、「結局どういうことなんだろう?」と感じる部分がいくつもあり、プレイ後に色々と考えさせられる作品だったと思います。
一部の謎については、これまでの解説記事でも考察を交えて触れましたが、本記事ではそこでは深掘りしきれなかったポイントについて考えていこうと思います。
ただし、本作は意図的に断片的な情報を提示し、プレイヤー自身が推測する余地を残すようなゲームデザインになっています。そのため、ここでの考察もあくまで個人的な解釈の一つという前提で読んでいただければ幸いです。
▼ストーリー解説はこちら
タイトル(サブタイトル)の真の意味
まずはこの物語に冠されたタイトルやサブタイトルの意味についての自分なりの解釈です。まぁとは言っても、タイトル「エンダーマグノリア」に関しては、解説④の記事でも触れた通り、そのまま「ノラが終わらせる」という意外に解釈の余地はなさそうに思います。
一方で、サブタイトルの「ブルーム・イン・ザ・ミスト」については、もう少し考察の余地がありそうに思います。
最初に「ミスト」という言葉を見たとき、私はこれが穢れの「煙」を指しているのかと思いました。しかし、そうであれば "smoke" という単語が使われるはず。では、なぜ "mist" なのか?という点が気になります。
結論から言うと、これは「Bエンドの最後のシーンを象徴するものであると同時に、ライラックたちがこれから歩む未来」を表しているのではないかと考えました。
「霧(mist)」には、雨上がりに立ち込めるものとしてのイメージがあります。そしてこの物語において「雨」とは、「死の雨」に他ならないですよね。
Bエンドでは、「死の雨が止み、霧が立ち込める中で、マグノリアの木が咲く」というラストカットが描かれます。
つまり、このサブタイトルは、穢れの「煙」ではなく、 死の雨が終わった後の「霧」の中で、マグノリア(ノラ)が咲く(生きていく)という光景を示しているのだろう、と考えられます。
そしてもう一つ、「霧」には比喩的な意味として「視界を遮るもの」や「曖昧な未来」というニュアンスを持ちます。
ライラックたちもまた、最後に根源の魔力を消滅させたことにより、これから先の未来がどうなるのかまったく分からない状況に置かれています。死の雨という災厄は去ったものの、その先にどんな世界が広がっているのかはまだ見えない。
しかし、そんな霧の先に何が待っていようとも、ライラックやノラは、新しい世界を築いていくことになります。それがまさにBエンドのエンドカードに記載されていた「それでも生きて、抗ってやろう」というメッセージなのですよね。
つまり、そんな先が見えない状況でも、強く生きていこう(咲き誇ろう)というメッセージが込められているのではないか、そう思います。
ライラックについて
いわずもがな本作の主人公。古き民の巫女の末裔であり、それゆえに穢れに対して高い耐性を持っています。
物語開始までの流れ
根源の地の浄化柱の中で眠っていた赤ん坊のライラックは、最下層調査隊(ラーシュ、リリア、ノラ)によって発見、保護されます。その後、リリアたちに匿われながら地下施設に送られ、リリアの手で育てられることになります。
(※この「地下施設」は、ゲーム序盤のエリアである地下実験場がまだ調律師たちの拠点だった頃のものですね)
しかし、ノラによるアベリア殺害をきっかけに、リリアやノラと共にフロスト家を追われることに。その後、ギルロイによってノラは処刑され、ライラックとリリアはリュサイの手で生体研究所に運ばれます。
生体研究所はミリアス家の管理下で、リリアとライラックはミリアスの実験に協力することになります。しかし、リリアは自身が実験対象になることや、ライラックを調律師に育ててその記録・情報を提供することを条件に、ライラックがミリアス側から手出しをされないように庇っていました。
このような背景もあり、生体研究所での生活はライラックにとって苦痛ばかりではなかったと考えられます。リトと友達になったのもこの時期であり、そのことは後のリュサイとの会話からも読み取れます。
そのような生体研究所の生活も長くは続かず、その後にリリアは何者かに襲撃を受け、ライラックを守るために輸送容器に乗せ、地下実験場へと送り出します。こうしてゲーム最初の地下実験場での目覚めに繋がります。
出生と浄化柱に入るまで
ライラックの生まれについては詳細は不明ですが、ノラ曰く「どこかから運ばれてきたのは間違いない」とのことなので、根源の地で生まれたわけではないことは確実です。というか、そもそも浄化柱はアベリアとデクランが共同で造ったもので、それをヨーランが運んだと「ヨーランの手記」に記載があるため、浄化柱に入れられた時点では根源の地ではありませんね。
Tips/ヨーランの手記 1
浄化柱の設置が完了した
アベリア様とデクランが共同で造り上げたものらしいが……詳細は知らない
気になって中を見てしまったが……見てはいけないものだったらしい
アベリア様はなんでこんなことを……こんなものを造って穢れを浄化をして救われるものなんてあるのか?何を信じたらいいのか、わからなくなる
浄化柱に入れたのは、順当に考えるならアベリアが主犯であったと思われますが、デクランもライラックを一目見た時に、「巫女の器」と呼んでいたので、面識はある可能性もあります。
ではアベリアがどこからライラックを連れてきたのか?ですが、これは前作においてリリィたちが人工的に生み出されたような方法が用いられたと思います。(↑前作tips)
アベリアは数百年前の書物にも登場する古き民の次代の巫女であることが、レリック「アベリアの指輪」にも書かれており、彼女が数十年前に果ての国で行われていた白巫女を創る人体実験についても知っている可能性は十分にあります。
デクランにの記録によれば、アベリアから巫女の検体を入手した、というものがあり、アベリアはライラック以外にも定期的に巫女の作り、検体を提供していたのかもしれません。
アベリアについて
フロスト家の領主であり、古き民の巫女の生き残り。本作における最大の謎を抱える人物の一人です。魂を操る古代呪術を操り、肉体を乗り継ぎながら生きながらえてきました。
前作の情報から、「古き民の巫女はリリィを除いてほぼ全滅している」と考えていましたが、まだ生き残りがいたとは…という感じです。
No.42 初代王の手記1
我々は今、この新しい大陸に足を踏み入れる
暖かく迎え入れてはくれないだろう
きっと多くの血が流れることになる
覚悟はできているつもりだったが、震えが止まらない
これから起きることを手記に残しておく
この戦いを忘れるわけにはいかない
↑前作のTips。この文面、一見「古き民は果ての国以外にはいない」 とも解釈できそうですが、実際には「他の国に古き民はいない」とは絶妙に明言されていない点がポイントです。つまり、アベリアのような存在が他にも生き延びていた可能性もまたあるかもしれませんね。
アベリアの目的について
アベリアには謎が多く、確定的なことは言いにくいですが、少なくとも「古き民の再興を目指していた」ことは、ローナとの会話からわかります。ただ、ローナは「死の雨が降る前のアベリアは 心優しく穏やかな人物だった」と語っており、当初はそこまで過激な手段を取ろうとしていなかった可能性があります。(とはいえ、ローナはアベリアに心酔してるので、アベリアの邪の部分が見えていなかった可能性もありますけどね…)
アベリアが狂っていく過程
ローナの言葉を前提にすると、以下のような仮説が考えられます。
- アベリアは 古き民の再興を目指しながらも、侵略者(外の魔術師)との共存を模索していた
- つまり、「古き民も、それ以外の者たちも手を取り合い、生きていく」という考えを持っていた
- しかし、死の雨の降下によって巫女の悲しみが伝わり、その果てに怒りと絶望に呑まれ、狂ってしまった
結果として、アベリアは当初目指していた「共存」ではなく、「侵略者を滅ぼし、古き民だけの世界を作る」という方向に舵を切ることになったのかもしれません。古き民の怨念(死の雨)がすべてを変えたわけです。
そしてアベリアはミリアス(デクラン)と協力するふりをしながら、浄化柱に穢れを溜め込ませて、前作のフリーティアのように穢れの王を生み出し、侵略者側を全滅させて古き民の再興させようとしていた、そんな可能性もありそうに思います。
ローナはアベリアに対し、「アベリア様が一番守りたかったのはフロスト家の調律師の子どもたちだった」とも語っており、もしこれが本当ならば、赤子を浄化柱に閉じ込めるような非人道的な行為をアベリアが選ぶとは考えにくいです。そう考えると浄化柱を設置する時点ではもうすでに狂っていたのだろうと思います。
「人やホムンクルスが穢れによって狂う」 というのは本作において「穢者」や「変異体」の原理と同じです。しかし、それが穢れを生み出した「古き民自身」に起こったというのは、何とも皮肉な話ですね。
本来穏やかだったアベリアは魂移しの儀を長く行っていなかった
また、アベリアが最初から過激な思想を持っていたわけではないと考えられる根拠のひとつに、彼女のビジュアル があります。ゲーム内ではほとんど顔が見えませんが、ギャラリーのイラストのローナの横には老婆のような姿のアベリアらしき人物が確認できます。もし肉体を乗り継いで生き延びられるのであれば、普通はより若い肉体に移ることで長く生きられるはずです。にもかかわらず老いた肉体のままでいたということは、かつてのアベリアは不必要な魂の移し替えを避けていた=穏やかな思想を持っていたのかなと思いました。
異国の旅巫女はリリィなのか?
最後に、異国の旅巫女について触れておきます。解説④でも少し書きましたが、ここでも改めて整理しておきます。もちろん明確な描写が無いため断言できませんが、個人的には旅巫女=リリィである結論付けています。
リリィと考えられる理由
いくつかの根拠を挙げると、
- 魔術学院で初めて出会った際に、「この国の穢れに私も関係ある」 と語っている
- ライラックに向かって「あなたは私と同じ巫女の末裔」と話している
- 「もう自分のお守りは使えない」と話しており、これは前作の「輝く護りの宝具」と、フリーティアの浄化によって機能を失ったと解釈すると辻褄が合う
- ローブの下に見える服装が前作のリリィと一致している(ローブによって肉腫を隠している、と考えられる)
- BGMが唐突に前作のメインテーマに変わる
などなど、他にも色々ありそうですが、もうどう考えてもリリィなんですよね。
数十年後にしては若すぎない?という疑問もありそうですが、本作は「死の雨の災厄から数十年後」であって、「果ての国の死の雨が止んでから数十年後」とは言われてません。つまり、「死の雨が降り出してから数十年後の話である=前作のCエンドからまだそれほど経過していない」とも解釈できるわけですよね。
明言を避ける理由
少しメタ的な視点になりますが、制作側としても、意図的に明言を避けているようにも思います。これは、リリィが前作の主人公であり、プレイヤーが彼女に対して様々な思い入れを持っているためです。
もし制作側が 「旅巫女=リリィ」 だと確定してしまえば、プレイヤーが抱いていたリリィ像に齟齬が生じる可能性があります。(なんなら前作と違って喋ったりもしてますからね)それを避けるために 「プレイヤーの解釈に委ねる」 という形を取らざるを得なかったとも言えます。
逆に、リリィとしての要素が揃っている異常、「プレイヤーのリリィ像と一致していればリリィと言い切って良い」のだと。
まぁ身も蓋もないですが最終的には、プレイヤー自身がどう結論付けるかの話なのかなと思います。
おわりに
以上、断片的ではありますが、さまざまな考察を巡らせてみました!本作は考察の余地が多く残されていて、プレイ後も思考を巡らせる楽しさがある作品でしたね。他にも謎はたくさんあるので、何か思いつき次第追記するかもしれません。
ここまでお読みいただきありがとうございましたm(_ _)m
©BINARY HAZE INTERACTIVE Inc.
記載されている会社名・製品名などは、各社の商標、または登録商標です。